見沼通船堀とは運河のことだった

見沼通船堀とは水を貯めて船を通す装置そのものの事だと今まで思っていました。ところが今回走ってみて見沼代用水東縁と西縁を結ぶ運河のことだと初めて知りました。そもそも今まではそんなことを深く考えないで走っていましたが、そんな事を考えるサイクリングとなりました。ちなみに装置は関と言うのだそうです。一の関と二の関、東西それぞれ二つの関があったようです。

見沼代用水東縁は何度も走っていますが、西縁は何かのイベント等で断片的にしか走っていませんでした。大宮以北にも続いていますが通船堀から大宮までまとめて走ってみようということで、土曜日のtaboomツアーの足慣らしも兼ねて家から走ってみました。火曜日4/27の話です。

通船堀までスマートフォンのGoogleナビで走ってみましたが、Googleナビは直角に曲がるところでも直進と考えることがあって、音声案内だけでは間違うことが多いです。かなり遠回りをしてしまいました。


東縁に出る直前の風景です。さいたま市とはいえ、のどかな風景です。遠くにさいたま新都心?のビルが見えます。

東縁を少し走って芝川と直行する地点までやってきました。

「見沼は大昔(縄文時代)は入江だった。それが弥生時代に海水が引き始め大きな沼となった。江戸時代に干拓事業を行い、今のような田んぼになった。」と現地の案内板に書かれていました。


西縁の1の関です。ここまで来て疑問が湧いてきました。上の案内板には「見沼代用水と芝川は高低差が3mあった」とあります。芝川と直行するのは見沼代用水であって通船堀ではないというのが私の認識だったので、直行するところの高低差が3mもあったのでは関はどうやって機能するのか、さらに土手はどうなっていたのかという疑問です。散歩していた地元の人に聞いても水を貯める装置のことは知っていても船の通行の仕組みや土手のことはご存じありませんでした。

船の通行の仕組みを書いた案内板は私の見た限り現地にはありませんでしたので、帰ってネットで調べるまで分からないままでしたが見沼通船堀のしくみ
のページで疑問は氷解しました。

西縁を淡々と走り、自転車趣味のおじさん達がたむろするあの喫茶店はこんなところにあったのかと知ることになりました。

氷川神社近くまで来たところで、大宮の好日山荘に寄り、東武の大宮公園駅で今日のサイクリングは終了です。

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