新田荘遺跡巡り(太田駅~木崎駅)

先週の渋沢栄一ゆかりの地巡りをする為に事前に2万5千分の一地図を調べていると、太田市に「新田荘遺跡」がいくつも点在していることに気が付きました。これを巡るのも悪くないなと実行した、3/26(金)の記録です。
新田荘とは源義重(新田義重・新田氏初代)が開発した中世の荘園のようです。ここは元々浅間山の火山灰が堆積し荒廃していた地だったようです。


予定では木崎駅から太田駅に至る行程を予定していましたが、最後に旧渋沢邸裏手の青淵公園を再度廻ろうと逆回りとしました。

最初に向かったのは円福寺境内・一二所神社境内

近くまでくると見覚えのある風景です。以前に来たことがあることを思い出しました。

境内

境内左奥に「新田氏累代の墓」があります。

新田氏累代の墓 説明板

「この中の1基の五輪塔地輪部に新田義貞の祖父新田基氏の法名とされる「沙弥道義」の銘文がある」説明板より。実際に確認できたので、撮影した次第です。

次は反町館跡

この写真では分かりませんが、堀や土塁が残されています。

次は生品神社。
「新田義貞が鎌倉幕府(北条氏)討伐の旗揚げをした地」説明板より。


次は重殿水源
「新田荘は、大間々扇状地の扇端部を中心とすることから、豊富な湧水地に恵まれた」説明板より。

パッと見ると、現代の調整池のようで、昔の面影はあまり感じられません。

次は矢太神水源

きれいな湧水が見られました。

次は江田館跡

北側から向かったのですが、土塁からすぐにこれが江田館跡だと分かりました。

南側。これだけの広大な跡地が開発もされず良く残されていたと思います。

南西側から見る江田館全景

次は総持寺。境内は新田館跡とされていますが、居住者は特定されていないようです。

次は先週、表から見た「長楽寺勅使門」の境内です。
(この境内は一部を除き新田荘遺跡とは関係ないと思い説明板を撮りませんでした。実際に説明板があったのかどうかも記憶にありませんが、一帯が新田荘遺跡として史跡指定されています。)

長楽寺三仏堂

世良田東照宮
「この地は新田氏の開祖・新田義重の居館跡とされ、隣接する長楽寺は義重の供養塔もあり、歴代新田氏本宗家惣領が厚く庇護を与え、大いに栄えていた。関東に入った徳川氏は、新田氏から分立したこの地を発祥地とする世良田氏の末裔を自称していたため、徳川氏ゆかりの地ともされた。」Wikipediaより

「真言院井戸」説明板

真言院井戸

木崎駅近くの明王院。新田荘遺跡の安養寺館跡に建てられた寺。
「安養寺館の居住者は、死後に「安養寺殿」と諡(おくりな)された新田義貞が有力」太田市のWebサイトより

これで新田荘遺跡のすべてを回ったことになります。この後、桜も開花したと思われる青淵公園に行こうと思っていましたが、風が強くなってハンドルを取られるようになったので諦めました。

太田駅10:00出発 木崎駅14:15到着
走行距離 約28km

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